THE CHALLENGER’S PORT

ここは、冒険家が集い、旅発つ港

自粛ポリスと、正義と、美徳

5/15 “休業要請や外出自粛に応じない”110番通報が急増 愛知

5/19 行き過ぎた「自粛警察」“感情のコントロール心がけて”

 

一般市民が、自粛をしない人間を罰する事案が多発している。

 

最近見たアニメ「サイコパス」の中にも似たようなシチュエーションが描かれていた。

マスクをかぶった人たちが市民に暴力をふるい、恐怖を感じた善良な市民がマスク人間に対し暴力をふるって抵抗した。簡単に言うとこんな感じのシーン。

 

このような事案に対する反応は、「空気を読まない人を非難する」「偽善者を非難する」あるいは「人間の本性を悲観する」に分かれるのではないか。

 

僕は「空気を読まない人を非難する」兼「人間の本性を悲観する」タイプの人だ。

サルを用いた、規律の存在を確認する実験は有名だ。

檻に4匹のサルが入っていて、階段の上にはバナナがある。1匹が階段を上ろうとすると、4匹に水が浴びせられた。別のサルが階段に近づくと、また水が浴びせられた。

仕組みを理解したサルたちは、階段を上ろうとするサルを皆で阻止するようになった。

サルを1匹、入れ替える。新参のサルは階段に向かうが、すぐさま3匹に阻止される。それが幾度か繰り返され新参のサルは檻の中のルールを知る。

さらにサルを1匹入れ替える。これも階段を上ろうとするが他のサルたちに阻止される。先の新参のサルも阻止する側にまわる。

全部が入れ替わり水を浴びたサルがいなくなっても、新参のサルが階段に近寄ると他のサルがそれを阻止する行為が続いた。

 

 

自粛警察は、僕らが猿のころからの本能なのだ。正義感とか、理性より根深い

 

空気を読まず外出を控えない人に対して憤りを感じるのは僕も同じだが、その憤りを行動に移してしまうのはすごいな。業が深い。

 

核心を突いたツイート

それよりも、みんなが印象に残ってるのはスズキトシオさんのこのツイートではないだろうか。

「トイレットペーパー買い占めてるやつサイテーですよね」

ってカネコさんに言ったら、

「そんなキツイ言い方しないで、優しくダメだよって言ってやりゃいいじゃん。いいか、人間の本性がでる場面は2つある。困難に直面した時と、正義が自分側にある時の言動だ

って叱られました。すいません……。」

このコロナ警察と空気読まない人間の対立の本質をついたツイートが出たのは3月とだいぶ前の話

僕もこのツイート見て心動かされた一人だ。

自分が正しいからって、そこで間違ってた相手を徹底的に追い込むのは、別にとがめないけど、それが振る舞いとして美しいかどうか。

相手が自分に非があると気が付いたなら、相手のメンツをつぶすまで追い込むべきではない。

他ブログの引用だが、まさにその通りだ。

 

旧約聖書の逸話から考えてみる

“民族の起源” 父への態度が子孫の運命を変えたという話。

ノアの箱舟の次のストーリー。

農夫となったノアはある日、葡萄酒を飲みすぎて裸のまま眠りこけてしまった。その父をみた三男ハムは、父を嘲笑い、その醜態をほかの兄弟に教えた。このことを聞いた二人の兄セムとヤフェトは慌てて父のもとへ駆けつけ、父の裸を見ないようにしてそっと布をかけた。

酔いがさめたノアは、一部始終を聞いて二人の息子を祝福し、ハムは子孫とともに呪われた。(笑)

 

「ハムへの仕打ちがかわいそうだ!」と思っちゃった人は要注意。(僕は思った(笑))

 

聖書でも「面子を立てる」ことは美徳とされてるということかな。

コロナ警察には聖書を読んでみてほしい。

 

まとめ

人にやさしく生きよう(笑)