「かっこいい」は人の数だけあります。
子供の頃、僕はB'zの稲葉さんに憧れを抱いておりました。
歌が上手いだけじゃなく、イケメンで、マッチョで、高学歴、ストイック
「いつかこんな大人になりたい」という気持ちをずっと持っていました。
BIGという歌が1番お気に入りでした。
なにか、気に食わない、うまくいかないことがあった時、おまじないのように口ずさんだものです。
こんなことでこんなとこで
俺は悩んでる場合じゃない
もっとビッグにならなきゃ
いけない男だから俺は
明日の俺は今日よりもビッグ
絶対にビッグ
絶対にビッグ ビッグ
僕は稲葉さんを目指してました。
水球部での過酷な練習、1日8時間を超える勉強、
ビッグになるためどこでも1番を目指し、その甲斐あって、細マッチョな体格と、第一志望の大学の合格証を手に入れることができました。ストイックさも多少は得られたかな。歌唱力と数学の点数はダメでしたが。笑
「なりたい」と言う気持ちは、努力で実現する。
その気になれば、稲葉さんにだってなれるんです。
世界には、唯一無二の「かっこいい」が存在していると思っていました。
誘惑に負けないこと、威厳があること、他人のせいにせず、常に自分と戦っていること
その物差しで測れば、僕は他の人よりも絶対に「かっこいい」
そんな、nearly perfectな僕には、「モテない」「仕事ができない」という、あるまじき欠点があったのに、その事実を認めることができませんでした。
彼女に振られ、何かを見失っていた僕は
その時期に出会った、ヤマシタさんという、かっこいい先輩と行動を共にするようになりました。
ヤマシタさんは、ミステリアスで、クールで、めっちゃ嘘をつくけど、女の人が尽きないのです。
ヤマシタさんから、普遍的な「かっこいい」とは、「女性を沼らせることができる」なのだと学びました。
僕は「必要以上に人に優しくしない」「相手より優位に立つ」「追いかけない」という態度を心がけるようにしてました。
そんな時、僕は、別の仕事場で、ヨシタカさんという大先輩に出会いました。
その人は、僕の中の「モテるかっこいい男」とはかけ離れていました。
口がうまくて、ずっとヘラヘラしてて、女性にすり寄っていくのです。
ヤマシタさんとは全く違うタイプの違う「モテ方でした」
ヘラヘラしてるけど、仕事の腕はピカイチで、それでいてめちゃくちゃ要領が良いのです。
これって、めっちゃかっこよくないですか??
恐ろしく仕事ができるヨシタカさんに、僕は散々にいじられたのですが、なぜか、もう嫌な気分になりませんでした。
ヨシタカさんには「なれる」気がしなかったということ
誰かの「かっこいい」を追いかけることに疲れたということ。
「モテる」ことだけが「かっこいい」わけでもないし、「優等生」だけが「かっこいい」わけでもない。「手先が器用」だけが「かっこいい」わけでもない。
僕はこの時ようやく、
「かっこよくなりたければこうあるべし」
という観念から解放されたのです。
誰かの「かっこいい」を目指して、うまくいかなくい。それは当たり前の話で、卑下するようなことではないのです。
「かっこいい」は、人の数だけあって、ヨシタカさんのかっこよさは、ヨシタカさんにしか出せない唯一無二のものだし、ヤマシタさんも然りです。
僕がヨシタカさんにいじられても嫌じゃなかったのは、ポンコツでモテない、そんな自分をありのまま認められるようになったからなんだと思います。
世界に、「かっこよくない」人がいるのなら、ダーウィンの進化論は、音を立てて崩れるでしょう。
逆にいえば、僕たちは、激しい生存競争に打ち勝った遺伝子の末裔なのです。
つまり、
世界に、かっこよくない人など存在しないのです。
他人の物差しではなく、自分の物差しで、自分を測ってみましょう。
きっとみんな、自分のかっこよさに気づけるんじゃないでしょうか。
全ての人に、幸アレ!
あ、自転車盗まれた、、